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  Kohana (Mix Media)

Biography

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彼女は日本の雪国である青森の津軽で生まれ、東京の隣県である埼玉で少女時代を過ごした。津軽女というのは、深い情念を持つことで知られている。彼女の父方の家系は江戸時代からつづく医師の家系であり、幼いころから医師にならなくてはならないと感じていた。彼女は、少女時代、本を読みながら歩くくらい本が好きであった。世界文学、とりわけ幼少期はグリム童話、思春期にはドストエフスキイの作品を愛好していた。幼いころから人の感情がどのように生まれるかについて考えを馳せるようになり、10歳になるころ、テレビで「ザ・ブレイン」という脳の働きの特集番組を見たことをきっかけに、感情が脳によって作られていることに興味を持つようになった。また、週末ごとに母に美術館に連れられ、ピカソやムンクなどの作品をみては、日記に
模写し、自分の作品も日々作っていた。小学校の卒業文集の夢は「児童心理学者と絵本作家」であった。中学生のとき、ヴラマンクの雪解けの道の作品に心打たれ、泥のような汚いものを、美として新たに定義づけられる作品の力を知る。17歳で、進路を決めるときに、アーティストか医師になるかで悩みつつ、医はArtであるというヒポクラテスの教えを知り、医師になることを決めた。医学生時代は、週末美術学校に通い、彫刻を専攻した。その学校では、さまざまな手法を学んだ。なかでも、一瞬にしてコンセプトを変える力を持つコンセプチュアル・アートの役割にこころを打たれた。映像や、女性の頭部の彫刻、花、ばらの枝や、女性の靴、金属などさまざまな素材を組み合わせたインスタレーション作品、またパフォーマンス作品をつくり続けてきた。医学生時代にアメリカに留学し、ニューヨークでのギャラリーめぐりも行い、そこで出会ったピピロッティ・リストの映像作品『Ever is Over All』に感銘をうけた。1998年の第一回前橋アートコンペでは着物を着て彫刻作品をプレゼンするパフォーマンスにより銅賞を受賞し、たけしの誰でもピカソの勝ち抜きアートバトルへの出場をテレビ東京からオファーされた。海外における展覧会としては、2000年にロサンゼルスでのSIGGRAPH、2008年、2009年には、スコットランド、エジンバラでのグループ展を行ってきた。国内における展覧会としては、群馬県立美術館や、高崎市美術館でのグループ展などのほか、重要文化財である臨江閣における展示も行ってきた。これらの展覧会では、日本語の文章を、いろいろな国の人に復唱してもらい、意味を音に変換する映像を蓮鉢の水面に映すプロジェクトや、桐箱の中に閉じ込められたパンドラを演じる映像作品などを発表した。彼女の作品は、和と西洋文化が混在し、人々の感情の中枢にはたらきかけ原体験をえぐりだすような力を持っている。2011年の東日本大震災の後、彼女は生き残ることの意味について考えさせられ、「生きている、ということは、誰かとの約束を守るため」と感じた。その直後、福島の美術館で展示する機会があり、彼女の夫との「指きり」の写真、「約束」という作品を出展した。英語で「指きり」は、日本から伝わって”pinky promise”,“pinky swear”といいう。指きりの起源は、江戸時代、遊女が本当に心を捧げて愛した人に小指を切断して贈ったことからはじまるとされている。「指きり」という行為は、暴力的な人間の情念や愛が昇華された行為と考えられる。今回出展した「YUBIKIRI」という作品は、作品をみた人々の心を開き、さまざまな国の人々とつながることを意図している。医師としては、児童精神科医として診療を行い、また、こどものこころの問題について脳画像を用いて解明を目指す研究を続けている。