MASATO SHIGEMORI (Painter)

Biography

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Masato Shigemoriは、世界で初めて原子爆弾が使われた日本の広島で生まれる。誰もが一度は目にしたことがある記録写真には、巨大なきのこ雲の下に広島の街が写っている。幼い頃の彼には、何万もの人々が、虫や植物のように思えた。絵を描くことに夢中だった彼は、この写真に惹かれ、何度も模写していた。近所の美術教室に通っていた彼は、6歳になる頃、油彩画を始める。美術館で、西洋古典美術や印象派を注意深く観ることで、その技法を学んだ。アングルの写実技法や、ゴッホの色彩感覚、モディリアーニの造形美が、幼い彼の美的感覚を育んだ。まれ育った彼にとって最も身近な娯楽は、漫画だった。今や世界中で読まれている「ドラゴンボール」や「聖闘士星矢」など80年代の少年漫画には、神話のような仮想と現実社会を結ぶ不思議な表現を学んだ。当時のハリウッドSF映画も、洋楽ポップスやロックも、漫画と同じくらい彼を夢中にさせた。しかし、流行はいつも欧米からやってくることに疑問を抱き、彼は東西の違いを意識するようになる。彼は20代後半の頃、かつて印象派の画家達が、日本の浮世絵に影響を受けたことを振り返り、日本人のアイデンティティーを模索しはじめる。特に、喜多川歌麿や写楽らの「線による表現」は彼の絵画表現の根本を変える。線を強調した表現は、写実から離れ、簡素化される。それは、鑑賞者へ想像を委ねる点において大きな可能性を持っていた。幼い頃から漫画に親しんできた彼にとっては自然な表現方法であった。簡素化し、想像で補うやり方は、日本の祭や神道に共通して見られる行為であり、彼自身も幼い頃から、日本の祭が持つ目に見えないものへの信仰を味わってきた。彼は自身のルーツを探る中で、いわゆるアニミズム(虫や植物あらゆるものに魂が宿る)とは、日本人が持っている独特な信仰心だと気づいたのである 。2011年の春、彼は、東北の街を津波が襲う映像を見ながら、幼い頃に見た広島のきのこ雲を思い出し、人間は世界の中心ではないと感じていた。人間は虫をいじめ、花を摘み、海に飲み込まれる。そして彼の作品は、西洋美術のアカデミックな絵画方法を土台にしつつ、浮世絵から引用した平面的で線を意識した表現が前面に現れるようになった。無機質に輝く人間の瞳、感情豊かに喋りだしそうな動物達、簡素化されて宙に浮かぶ花々が、彼の作品を彩っている。