Maki (Photographer)

Biography

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私は6歳まで広島で祖父母に育てられました。家族は両親と4つ違いの弟とで東京に住んでいましたが、母方の祖父に溺愛された私は彼らと暮らしていました。代々庄屋を務めた祖父の家は太い梁が何本も使われた古くからある民家で、池には鯉が泳ぎ、庭には美しい枝ぶりの松がありました。私は井戸水で夏の西瓜を冷やし、祖母は土間の竈で米を炊き、祖父は蔵から宴席膳や祭り太鼓を出す、そんな暮らしでした。

私の祖父は画家で、子供だった私の遊び場のひとつはペインティングオイルの匂いがしている祖父のアトリエでした。そこには祖父が使うイーゼル、筆、ナイフ、色とりどりの絵具チューブがあり、そこで祖父はキャンバスにデッサン画を描き、下塗りし、本塗りし、削り、そしてまた塗りながら油絵を描いていました。私は祖父の隣で、無だったキャンバスが色を重ねながら新しい世界に生まれかわっていく様を見ていました。その時私は、天窓から射しこむ光がその生まれたばかりの世界を照らしたのを鮮明に覚えています。そして私はそれを美しいと思いました。祖父が心に浮かんでいる風景を具現化していくのを見るとき、私はそれがどこからやってくるのか、とても不思議に感じていました。今思うとその時私は、祖父のように才能があれば、何も無いところに形ある世界を創れることを知ったのだと思います。ところがある日、事情があり広島の祖父母が東京へ引っ越す事になりました。先祖代々の土地・家屋を引き払い何代も使い続けた道具類を処分し、わずかな荷物と共に広島を離れた祖父母。私の故郷はなくなりました。これは場所とともに生きてきた祖父母には身を切られる思いであったろうと思います。慣れない都会暮らしから5年後、祖父母は相次いで亡くなりました。

私が写真で伝えたいのは、いつ・どんな風にやって来るかわからない宿命を、あるがままに受け入れる人間の姿は美しいという事です。自分の宿命も、ましてや大切に思う人の宿命はどうすることもできない。目の前にいるその時、愛するしかできないのだと知りました。だけど悪い知らせのあとに、いいこともあったりするから、大切な人と暮らした悔いのない思い出があれば、しばらくはつらくても大丈夫。私は世の中それほど捨てたものじゃないし、生きるのはまんざら悪くないと思うのです。