vol.38 今回からはJCATマスタークラス・アーティストのPESUさんが ブログを始められます。

★今回からはJCATマスタークラス・アーティストのPESUさんが
ブログを始められます。
JCATマスタークラス・アーティストとは、海外でアクティブに
活動されている、アーティストとして生活をされている方々です。★


JCAT Artists の皆様、こんにちは。

NYに来た当時からお世話になっているアリサさんにブログを頼まれたので一ヶ月?二ヶ月?だけ書かせて頂くことになった PESU というNY在住の絵描きでぺす。お見知りおきを。m(__)m

まずは自分の事を知って頂きたいので、自己紹介というか自分の "LIFE IS ART" を語らせて頂きたいと思います。ちょっと長いけどごめんなさい。

1980 年、静岡県富士市で生まれました。八歳の時に交通事故に遭い、右目に重傷を負い、十五歳まで眼帯生活を送っていました。お医者さんは眼帯を外さないと左目 の視力が無くなってしまうと言うのですが、自分はこのぐちゃぐちゃになった目 (当時は本当にひどかった) をどうしても他の人に見せる事が出来なく、か と言って眼帯生活も人に指を指されるわ、心ない先輩にからかわれるわ、ろくな事が無く、何で自分だけ人と違うんだ?と、とても考え込んでしまい、自殺も考 え実行した時期もありました。

そ んな十五歳の夏、学校もあまり行かなくなりゲーセンなどで遊んでいる時に、悪友のマイメンが、横浜に馬券を買いに行かないかと誘われ桜木町に行きました。 すると何キロも続くグラフィティがそこにはあったのでぺす。衝撃でした。そこにアーティストはいないのに漲るパワーを、命を感じました。というか命をもら いました。ヒップホップメーン♪

自分も人にエネルギーを与えれる人になりたい。

そ の日から自分はスプレー缶を買い、近所の壁やトンネル、電車から見える場所に絵を描き始めました。すると、電車に乗っている女子高生が誰が描いたんだろう ね、カッコいい。と言っているのを聞き、感激。男は単純でぺす、もっとがんばってしまうのでぺす ^^; そのうち、仲間も出来て、みんなが認めてくれ て、生きてても良いんだと、自分の存在証明を見いだす事ができた。そして、眼帯も外した。

高 校になると、うちは進学校だったのでみんな大学に向けて勉強をしていた。自分は既に付いて行けなかったので、学校にいても寝ているか落書きしかしていな かった。親が心配して、学校には行きたい時に行けば良いからと、絵の塾を紹介してくれた。静岡美術研究所という所に通うようになった。学校では勉強にみん な必死だったけど、ここではみんな絵に必死だったし、何よりみんな異常に絵が上手くて刺激になった。

相 変わらず勉強はできないので、東京芸大、武蔵美、多摩美、を絵だけで勝負したが、やはり、撃沈。それでも東京に行きたかったので町田デザインという専門に 入ってみることにした。そこは、素人の集まりで美研だと自分が一番下だったのが、専門では一番になってしまい、何かが足りず、学校もまた行かなくなってし まった。

二 年生になると、先生が出席日数が足りないから休んだらやばい、けど、俺が担任だから面白いぞ、絵を一杯描かせてやる、と言ってきた。そして、彼は言った。 俺みたくはなるな。絵描きが先生になったら終わりだ。給料もらう絵描きなんて絵描きじゃない。おまえは本当の絵描きになれ!一生忘れない言葉の一つでもあ るし、この先生がいたから今の自分もある。

二 年目は絵をいっぱい描いて本当に面白くて一度も休まなかった。後期になるとみんなが就職活動をするが、自分には絵描きが就職活動をする意味がわからなかっ た。かと言ってどうしていいかも解らなかった。ある日、クラスメイトが就職活動しなくていいの?と聞いてきて、自分は何故かアメリカに行くとハッタリをこ いた。すると噂で広まり、自分はアメリカに行く事になってしまった。

両 親にアメリカに行きたいと言うと、母の友達がカリフォルニアに住んでいるということで、その方を頼りにに2001年にカリフォルニアの州都サクラメントに 渡米した。語学学校に行くと日本人が多くて英語が伸びないという理由で観光ビザという六ヶ月の長期観光用のビザを取得し、アダルトスクールという無料の学 校に六ヶ月通うことになった。

こ のアダルトスクール。アメリカの面白いところでもあるのですが、アメリカは不法滞在者が多く、彼らがアメリカ人のやりたくない仕事をこなし、アメリカの底 を支えている。そんな彼らがある日、自分達はアメリカ人のやりたくないことも全部やってるし、タックスも払っている。でもビザが無いから学校に通って勉強 することが出来ない。と政府に訴えたら、政府は、いいよ♡ と無料の学校を不法滞在者、低所得者用に作ってくれたのだ。この学校は現在全米に沢山ある。そ こに六ヶ月通うのだが、This is a pen くらいしか解らなかった自分には地獄の日々だった。実際苦しくて一人でよく泣いたし、何度も日本に帰りたくなった。しかし、五ヶ月くらい日本語を 使わないで勉強していたら五ヶ月で英語が喋れるようになったのだ。そして、クラスメートとも仲良くなり話を聞ける様になると日本人には衝撃な生き方をみん なしていた。

彼のニューヨークでの活躍ぶりはこちらの動画で⇩

 

to be continued.......

続きはJCATメンバーの方のみ読めます!!
 

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日本人現代アーティストチーム
"Japanese Contemporary Artists Team in New York"
略して「JCAT」




山登りを何の準備もせずに登ることは困難であるように、海外へと一歩踏み出しアーティスト活動を拡大する上でも何が必要で、どういう考えを理解しなければならないのかを自らの足で経験をつみながら準備進めることがJCATでは大切だと考えています。

日本から踏み出す一歩を、自分自身・そして自分のアートと向き合い
一緒に考えていきましょう。
メンバー参加に興味がある方は
審査フォームよりご連絡お待ちしています。

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★自立したアーティストとしての山登り、あなたは何合目ですか?
ーぶっちゃけ海外でアーティストとして生きていくってどういうこと?アーティストへ
のインタビュー記事も掲載!



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